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大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)4393号 判決 1956年4月07日

主文

被告は原告に対し金十万円及びこれに対する昭和二十八年十月七日から右支払済に至る迄年五分の割合による金員を支払うこと。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その二を被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴部分にかぎり、原告に於て金二万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

原告と被告とが昭和七年五月から同二十八年二月迄夫婦として同棲していたこと及び被告が昭和二十七年十月九日原告との協議離婚届出をしたことは当事者間に争がなく、成立に争のない甲第一号証によれば、原被告の婚姻届は昭和二十七年三月二十五日になされていることが認められるから、反証のないかぎり右届出は有効になされたものと推定される。被告は右届出は被告不知の間に原告が擅にしたものである旨抗争するが、これに吻合する証人山本トシの証言及び被告本人の供述は後記証拠に対比してこれを措信せず、その他これを認むべき証拠がない。却つて原告本人の供述及び被告本人の供述の一部を綜合すれば、原被告は同棲後永年に亘り婚姻届出をしなかつたが、原告は昭和二十七年初頃に至り被告に対し入籍方を頼んだところ、被告は入籍手続をすれば扶養家族手当も支給されることであるからとて入籍を承諾したので、原告は昭和二十七年三月二十五日豊中市役所に於てその手続をしたことが認められるから、被告の右主張は理由がない。

而して、右事実と証人松田太一、田矢藤左衛門、関本久次郎の各証言、原告本人の供述並に被告本人の供述の一部を綜合すれば原告は昭和七年頃大阪市外服部所在の某料亭の仲居をしていた当時大阪市交通局に勤務していた被告と相識り情交関係を結ぶに至り、被告には当時妻があつたがこれを離別し、同年五月頃から同棲し、爾来豊中市岡町、同市桜塚南通、又は大阪市都島区都島本通等に居住し同所で戦災に会い、その後被告肩書住所に転住し夫婦生活を営んでいた。被告は生来女色を好み、昭和九年頃九州生の某女を家庭に引き入れたことを初めとし、爾来次々と他女と関係を結び、これ等の許に通つたり、又は家庭内に引き入れたりして妻たる原告を無視する如き所行をあえてし、これを阻止せんとする原告に対しても屡々暴力を振い、又は情婦の勧心を購うため殊更原告を侮辱するかの如き言辞を奔することが多かつた、たとえば、昭和十二、三年頃には大阪市都島区都島本通五丁目に於て喫茶店を経営していた訴外菱田モトと懇になり、殆んど同女方に入浸り月に一、二度位しか帰宅しなかつた。又昭和二十三年頃日本通運株式会社淀川営業所の女事務員と通じ、金銭で解決したことがあつた。なお、昭和二十五年頃には被告方附近の未亡人である山下某女と関係し、原告に同女方の田仕事を強い、夜には同女を引き入れて原告を無視する行動をとつたこともあつた。右のような放蕩のため被告は原告に生活費をも充分に支給しなかつたので、勤務先の上役や同僚に頼んで被告に渡すべき俸給から生活費を差引いて渡してもらうような措置を講した程であつた。その後昭和二十五年九月頃から原告の甥である訴外松田敏一が復員して来て同居するに及んでは、被告の原告に対する暴虐は益々激化するようになつた。しかし、原告は被告の悔悟を期待し遷延していた入籍届出を完了したが、被告はいさゝかも行状を革めず、却つて、昭和二十七年九月頃原告が田仕事から帰宅すると、被告は又々九州生の某女を連れ込み、同女と共に食事をし原告には「お前はお前で勝手に食え」等放言したので口論となり、それに偶々来合せた右訴外松田敏一も加り乱闘となり、遂に豊中警察署の保護を求めるに至つた。右のようなことがあつた後も被告の態度好転せず、原告も将来が案じられるので傍人のすゝめにより、昭和二十七年十月七日被告を相手方として大阪家庭裁判所に離婚並に慰藉料請求の調停申立をしたが、同年十二月十六日不成立に終つてしまつた(この事実は当事者側に争がない)、しかし、原告はなお隠忍して被告方に止まつていたが、被告が右調停繋属中である昭和二十七年十月九日に原告に無断で原告との協議離婚届を出したことが判明し、又被告の女出入は依然として止まず、電気も止まり更に被告の母家から用水さえも充分にもらえぬ始末になつたので、已むなく昭和二十八年二月頃被告方を立去つたことが認められる。証人山本トシの証言及び被告本人の供述中これに反する部分は措信せず、その他右認定を覆えすに足る証拠がない。又一方被告本人の供述によれは、原告は元来飲酒を好み酒癖が悪く、酔余乱暴をすることもあり、又被告の承諾を得ることがなく長期に亘り原告の実家である石川県に立帰つたことがあつたこと、及び昭和二十五年九月前示訴外松田敏一が同居するようになつてからは、原告は同訴外人の面倒をよく見るが、兎角被告を疎んずるような態度をとるようになつたことが認められ、これに反する原告本人の供述は措信せず、その他右認定を覆えすに足る証拠がない。

以上認定の諸事実を考え合わせると、原告が被告との二十数年来の夫婦関係を継続することができないようになつた原因は、一に被告が漁色に耽り妻たる原告を無視する所行を重ね家庭の平和を紊したゝめであるといわなければならない。尤も原告に於ても飲酒を好み酔余乱暴を働いたり、又は被告を疎んずるような所為があつたことも亦その一因をなしているとはいえ、これとても被告の放蕩に対する忿懣の情を抑えがたいところから出た所為であると考えられるから、原告に右のような所為があつたからとて右認定を妨げるものではない。而して、原告は最早齢五十を過ぎ無資産且つ頼るべき親族故旧とてなく、今は只訴外下田満造方の農事手伝をして漸く老の身を養つているが、将来の見透しとてない境遇にあることは原告本の人供述によつてこれを認めることができるから、原告がこれによつて物心両面に亘り多大の苦痛を蒙つたであろうことは多言を要しないところであり、従つて被告はこれを慰藉するため相当の金員を支払うべき義務があるものといわなければならない。

よつて、その数額について考えるに、原被告双方本人の供述によれば、原告は現在既に五十五歳になり資産皆無であること、被告は永年大阪市交通局に勤務し、昭和二十九年四月停年退職にあたつては退職金として金百五十八万円を支給されたが既にその全部を費消してしまつたこと、被告は現在無職であるが田地一段半を耕作しその内一段は被告の所有であること、及び原告が昭和二十八年二月原告方を退去するにあたつては、被告方から米二斗、麦四斗の外黒檀箪笥一棹、箪笥兼用水屋一棹、布団十枚及び農耕用具一式を持去つたことが認められ、これと前段認定の原被告の結婚当初から破局に至る迄の経緯、その他弁論の全趣旨を綜合して、本件慰藉料は金十万円を以て相当と認める。

以上の認定によれは、被告は原告に対し右慰藉料金十万円の支払をする義務があるから、原告の本訴請求中右金及びこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが記録上明白である昭和二十八年十月七日から右支払済に至る迄年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める部分は正当としてこれを認容すべきも、爾余の請求は失当としてこれを棄却すべきものである。

よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条、仮執行の宣言について同法第百九十六条を適用して、主文の通り判決する。

(裁判官 坪井三郎)

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